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洞口依子(俳優)

 

今作の”3・11以降との対峙”の映像表現の大胆さには目が眩んだ。震災の映像は出てこない。だが、登場人物のセリフから震災の様子を思い出さずにはいられない。3・11以降のひとびとの心の問題。絶望と希望の狭間で、予知夢やドッペルゲンガー、死者の声と不穏な風音、さまざまな要素が組み込まれた、万華鏡のような「忘れない」映画体験だった。

佐藤信介(映画監督『アイ アムア ヒーロー』)

隅々から映画の力が押し寄せて来る感じがしました。震災によって失われたものが、言葉ではなく、映像でもなく、事実の記録でもなく、映画の力によって語られていました。忘れかけていたこの映画の力が醸す、これまで感じたことのない感覚によって、答えも結末も導き出せないこの日本の物語が綴られていました。抜け出すことができない僕らの前に広がる迷路を、ここまで実感できた時間はありません。

二宮健(映画監督)

3.11という今の日本にとって大きなテーマを、映画的な技 法やテクニックで描こうとする試みが、とても興味 深いと感じました。と同時に、 作品で描かれるのは震災の悲惨さ、ではなく、震災に対し て何を考えているのかという登場人物たちの内省的な姿 勢であることも印象的で、ひとつの物 事ですら、環境や角度によって、無 数の顔があるということを深く実感しました。それでも最後に見せたひとつの顔は、考え方の幅広さに警告を鳴らす、現代の深刻な危機だと思い ます。

安川有果(映画監督『Dressing Up』)

地震で恋人を死なせてしまった(被災地へ向かう恋人をとめることができたのは自分だけだった)罪の意識から、死んだ恋人の夢を繰り返し見続ける心理学者の瑛子と、震災を題材にした演劇作品に真剣に取り組むうちに、震災で子供を失った若い母親の記憶と夢を介して関係を持つようになる薫。

この映画は、他人と内側から関係を持つ唯一の方法として、夢という題材を提示する。ふたりのヒロインは震災の夢を見続け、同じ苦しみを共有しているようにも見えるが、一方は現実からの逃避としての夢、もう一方は真実に近付く方法としての夢であり、過去にとどまろうとする瑛子と未来へ向かう薫は衝突する。

批判を恐れず直観を信じて突き進む薫の姿は感動的だ。その行動は、瑛子に変化をもたらし、直接経験していないのに、それを語り表現する資格があるのかという自意識に苦しめられる周囲の人々、スクリーンの外で『SHARING』を見ている私達をも巻き込む。震災について、創作について、他者についての、深い洞察をもとに作られた、何度でも繰り返し見たくなる映画。

 

 

ライムスター宇多丸(ラッパー/ラジオパーソナリティ)

 

めまいがするような入れ子構造を持った広義の過去改変ものであり、人の心が「見えてしまう」という意味で正しく「心霊」映画でもある……と同時に、理解し得ないこと、語り得ないことをいかに理解し語るのかという倫理的問い、半ば自動的に「想像~感情移入~共感」してしまう存在としての「観客」論までこちらに鋭く突きつけてくる、スリリングにもほどがある破格のエンターテインメント!……って、これまだロング・ヴァージョンしか観られていない段階での感想だというのがまた怖いあたりですが。

舩橋淳(映画作家)

 

映画において、編集点で区切らには各々全く異なる時間が流れており、それが積み重ねられたフィクション———ホラーなり、サスペンスなり、ラブストーリーなりがしかるべき物語を盛り上げ、指し示す“共有された”心理は、しょせん同じ時空間に所属していない人間たちの幻想に過ぎないという事実を、ある苛烈な傷みをもって見るものに突きつける作品、それが「SHARING」(反語的なアイロニー)である。大学構内という無機質な空間が、突如ぐぅ〜にゃりと曲がりはじめ、我々が立っている地面がぐらぐらと地殻変動を始める。映画を見る我々の視線が、どれだけ作り上げられたフィクションの前提の上に立脚しているのか、篠崎監督は1ショットごとに暴いてみせる。過去なのか、現在なのか、未来なのか、ショットごとに時空を飛び越えるという、こんな画面の緊張を私は見たことが無い。我々は、果たしてこの映画を見終えた時、ここに立っていられるのだろうか。視線を投げ掛ける我々は、一枚、また一枚と意識の層を剥ぎ取られ、その先には世界の行く末といっても過言ではないラストが待ちうける。

 

恐るべきサイコサスペンスの誕生である。

高橋諭治(映画ライター)

映画史上まれに見る夢ホラーの怪作にして傑作。執拗に反復される悪夢のシーンのバリエーションの多彩さにまず驚かされるが、現実と地続きになって生々しい不安や哀しみを増幅させるこの映画が真にユニークかつ恐ろしいのは、「夢はいつか覚める」という逃げ場がどこにもなく、鑑賞後もしばしその得体の知れない夢への没入感に囚われてしまうことだ。そもそも津波も瓦礫も直接描かずに3.11と向き合い、大学という整然とした建築物を迷宮化したこの映画の不穏さ、不可解さは何なのか。何の変哲もない空間に、そしてごく普通の人間の内から次々とあふれ出る異形の怪奇、幻想、恐怖にゾクゾクし、感動さえ覚えずにいられない。

小中千昭(脚本家)

虚構でなければ描けない事はある。虚構だからこそ我々は娯楽としてこの映画を観られるのだ。しかしこの映画は見終わった後から問い続けてくる。そして気づく筈だ。『SHARING』の虚構は現実と全く区別ないという事に。

森直人(映画批評、ライター業)

 

ものすごくあとを引く。この映画自体がトラウマティックな経験になった。筆者がいま言えるのは、こびりついた記憶も妄想も心の傷も、すべて「現在」の問題であるということ。存在不安、という根っ子の部分を執拗に探究している傑作、いや怪作だと思う。

 

 

 

白鳥あかね(スクリプター、脚本家)

 

二度拝見しました。傑作です! 一人でも多くの人に見てもらいたい映画です。

 

市野川容孝(東京大学教授)

すごい映画だというのが私の感想です。私を含めて、多くの人が「3・11」について、思ってはいるけれども、なかなか表現できない、いや、「表現」した途端に嘘っぽくなったり、歪んだりしてしまうことを、実に巧みに、そして正確に〈表現〉している、という意味で、すごい映画だと思いました。

大九明子(映画監督)

 

SHARING」が完成したそうだ。

最初の試写を拝見して2年。ヒンヤリした映画だった。

「もう少しいじる予定なんだけど」その時確かに言っていたが。

以来ずっと篠崎監督は「SHARING」を作っていたのだ。

ずっと作っていられるなんて、監督族としては羨ましくもある。

そもそも映画とはいつを完成とみなせばよいものなのか。

とにかく、2年たった。3・11からは5年たった。

あの時に存在したヒンヤリ感は、濃度を増していることだろう。

 

島崎奈央(「暮しの手帖」編集者)

 

「こうなった」というのと

「こうなると思ってた」という両者は、

わたしの実感のなかではいつも抜きつ抜かれつ、

正確には、踏めない影法師を踏もうとしてるみたいな感じで

追いかけあってる気がします。

 

「こうなると思ってた」なら、

そしてそれが悪いことなら、

「こう」なるまえに「なにかすればよかった」し

「なにかすればよい」のだけど、

なかなか人はそれができなくて、

常々していることがあるとすればそれは、

こうしていたら違ったんじゃないか、とか

こうすべきだったんじゃないのかという、

過去に向かっての想像(後悔と、叶わないやり直し)ばかり。

 

経験が人を作るなら、

人にしか未来を恐れたり

未来に期待したりできないなら、

過去に向かってでなく未来に向かって、

人にしかできないであろう「想像」をしたいものだな、と思います。

 

岡本みね子(プロデューサー/『ゆずり葉の頃』監督)

 

私が、篠崎誠監督の映画を観続けているのは、彼の作品の中に、その人柄が自然と滲み出ているから。これは現代の日本映画にあっては大変貴重なことだと思っています。『SHARING』は3.11を題材にした、重くスリリングな内容の作品ですが、そんな中にも、彼のこれまでの作品と変わらない、人に対する優しい眼差しが映画のそこかしこに溢れている。その眼差しがある限り、私は彼の映画を観続けようと思っています。

三宅隆太

(脚本家/映画監督/スクリプトドクター/心理カウンセラー)

これは「あの日」を境に「心の時間」が停止してしまった者たちを描く、

「心霊映画」である。

 

命を失い彷徨い続ける者、

命を長らえ自らを責め続ける者、

そして、命を共有(シェア)しようともがき続ける者……。

 

互いを想うからこそ集い、

言葉を交わし、だがすれ違わざるを得ない彼らを見つめていくうち、

この映画が抱えるあまりにも重く強大な影に、苦しみや恐怖、或いは絶望を感じる観客も少なくないだろう。

 

しかし、光なきところに影が存在しないように、

絶望と希望は紙一重であり、表裏一体でもある。

 

前作『あれから』に続き、

篠崎誠は絶望の影にかき消されそうな「わずかな光」を追いつづける。

そして、迷路のような廊下を懸命に走り続けるヒロインとともに、

我々観客もまた、その光を信じ、求めてゆくことになる。

 

行き着く先はどこなのか? そこにはどんな光景が待ち受けているのか?

ロング版とショート版という2つのバージョンを通じて、

SHARING』は、それぞれ異なる未来の可能性を観客に提示する。

 

もしも、あなたがいま何らかの理由で「心の時間」が停止していると感じるなら、

どちらのバージョンもご覧になることを強くお薦めする。

 

そこには「止まった刻」を再び前に進めるためのヒントが隠されているからだ。

そして同時にそれは、この国に長年まとわりつく閉塞感を覆すための重要な道しるべでもある。