シネ・ヌーヴォ大阪にて上映中!

logo
logo

爆音映画祭 in FUKUOKAで『SHARING』(111分版)の上映決定!!!


新着コメントはこちら!→


テアトル新宿での初日舞台挨拶は満員!

ご来場の皆さま

ありがとうございました!!

*画像はクリックで拡大できます



作品情報

2011311日。

地震と津波による大災害は、原子力発電所の爆発をも引き起こし、日本人の心に大きな爪痕を残した。あれから5年。放射性物質の漏れは依然として終息の兆しを見せておらず、私たちの生活は、あの時の不安を拭えないまま続いている。本作『SHARING』(共有の意)は、そうした震災後の日本人の心の問題に、映画的な想像力を駆使して、真正面から向き合おうとしたフィクションである。

なお、この映画には、登場人物の一部、展開も大きく異なる2つのヴァージョン(99分版と111分版)が存在している。どちらが一方がディレクターズカットではなく、劇中で語られる分身(ドッペルゲンガー)のように、この2つのヴァージョンがお互いを照らし、未来に対する希望と怖れを炙り出していく。

 

【STORY】社会心理学者の瑛子(山田キヌヲ)は、東日本大震災の予知夢を見た人を調査している。誰にも打ち明けていなかったが、彼女は震災で死んだ恋人の夢をずっと見続けていた。一方、同じ大学の演劇学科に通う薫(樋井明日香)は、卒業公演の稽古に追われている。ある時、311をテーマにしたその公演を巡って、仲間たちと決定的に衝突してしまう。薫もまた、この芝居を初めてから同じ夢にうなされていたのだが…。

 水道橋博士(漫才師)

 3・11は、直接の被災者だけではなく、ボクを含め全ての日本人に精神的な外傷を刻んだ。この映画は、3・11を巡る他人の脳内スクリーンを、あたかも現実のようにスクリーンに映し出す。映画を見ていて自分の脳内に浮かぶ幾層もの映像が、登場人物の心理なのか、自分の心理なのか、観客の共通意識なのか、彼我の区別がつかなくなるスリリングな錯覚に何度も陥った。それは、まさに『SHARING』、映画的体験としか呼びようがない

 

内藤瑛亮(映画監督)

めちゃくちゃ面白かったです。篠崎監督の作品の中でいちばん好きになりました!

塚本晋也(映画監督『野火』)

心に傷ついた人たちが登場しますが、彼女らこそがまともな人たちと思いました。

 

鶴田法男(映画監督)

一級の娯楽サスペンス・スリラー映画である本作。超絶技巧の長回しや、顔のアップのスプリットスクリーン、篠崎誠監督の卓抜した映像センスの挑戦は、メジャー映画が忘れている映画本来の醍醐味を体感させてくれる。必見!

 

匿名希望(広告代理店勤務)

傑作であることに間違いはないです。予知夢、分身、更には神。登場人物それぞれの現実と夢と回想が、次から次へと容赦なく視界に入り込んできます。学園という絶好の場所を武器に我々はただ見いるしか、なす術がありません。それで良いのだと思います。まさしく、映画がここにあります。早く一般公開されることを期待します。必見です。

飯塚貴士(人形映画監督)

観ている間次々に僕自身の経験や忘れていた記憶が沢山反芻されてきて、どこまでが劇中の事でどこまでが自分の思考だったかが分からないという初めての体験をしました。ぜひまた観てよく考えたいです!

松井周(劇作家/演出家/俳優/劇団サンプル主宰)

『SHARING』を観てから随分経つのに いまだにすきま風の音が耳に残る。 自分の今立っている場所を崩されるような恐怖に対して目を開けて踏ん張ることでむしろ覚醒していくような感覚。あの震災後の揺れてないのに揺れている感覚に近い。 私たちはある「記憶」を持っている。それは3.11を境に発生したあらゆる現象の束を元にしていてあらゆる人が多かれ少なかれ、その「記憶」に動揺され続けている。人間という生物には、良くも悪くもそのような機能があるらしく、つまり一人一人の「記憶」と呼ばれるものが良くも悪くも私たちを操ってしまう。この映画の中では、その厄介な「記憶」に操られる登場人物たちが 主導権を取り戻そうと「記憶」に立ち向かう。 そんな彼らのジグザグ歩きの果てに、また圧倒的な現実が襲ってくるとしたら?まずは狼狽するに違いない。ただ、準備はできているはず! 「記憶」に立ち向かえばいい。いや、それだけでは足りない。これは「記憶」ではないからだ。 彼らや私たちが向き合っているのは映画と地続きの現実なのだ。

大寺眞輔(映画批評家、indle Tokyo主宰)

私たちの日常はいまや「共有」という強迫観念に支配されている。しかしそこに「共有し得ないもの」の共有という強迫観念が生じたらどうだろう。私たちの日常はゆるやかに歪み、社会という薄いベールの下にある何かがそこで露呈しはじめる。その試みは、きわめて政治的なものである。

岡本みね子(プロデューサー/『ゆずり葉の頃』監督)

 

私が、篠崎誠監督の映画を観続けているのは、彼の作品の中に、その人柄が自然と滲み出ているから。これは現代の日本映画にあっては大変貴重なことだと思っています。『SHARING』は3.11を題材にした、重くスリリングな内容の作品ですが、そんな中にも、彼のこれまでの作品と変わらない、人に対する優しい眼差しが映画のそこかしこに溢れている。その眼差しがある限り、私は彼の映画を観続けようと思っています。

 

黒沢清
(映画監督)

本当に傑作だった。迷宮のような建造物、続々と登場する人間たち。そして現世を超えた物語、その圧倒的なスケールの大きさに身震いした。大胆で繊細で、充分スキャンダラスで、ラストは感動的で。堂々たる社会派ダークファンタジーの登場だ! 

鈴木卓爾(映画監督)

この映画のシナリオを最初にいただき読んだ時、久々に大きく動揺と戦慄と壮快さを感じたのを憶えています。私達が映画からうける力のひとつは、フィクションの領域から現実を揺さぶるイメージが涌き上がってくるのを自由に汲み上げる事にあります。それは、辛辣な揺れであっても、揺り籠のような揺れであっても、また時にはその両方が矛盾なく(或は矛盾を抱えたまま)存在しえるのが映画と私達の間でのイメージの交感の大きな特徴となる処です。『SHARING』のシナリオにはぐいぐい未知の領域に読み手を引き込んで行く篠崎監督ならではの娯楽映画の普遍性と、今現在読んでいる私の足の裏の根底から揺さぶりをかけられているような事件性の両方が高度に化合して存在していると感じました。単純に言うとすげえ面白いのでした。

 

万田邦敏(映画監督)

失った者の悲しみを分かち合う映画といえば、すぐにイーストウッドの『ヒア アフター』を思い出すし、ともに津波が関わっているのだから、これはもう間違いなくそれを意識して作られたと思うが、『SHARING』が『ヒア アフター』と異なるのは、悲しみを分かち合うことの不可能性を描いている点だ。こんなに残酷なことはないが、その残酷さを自覚した女子学生が津波の被害者を自ら演じてみせるラストの劇中劇はやはり何事かをシェアしていて、それが大変感動的なのだった。 

斎藤環(精神科医)

フィクションであれノンフィクションであれ、東日本大震災を扱ったすぐれた作品は数多く存在するが、このような例を他に知らない。しかし、考えてみれば、あの震災後の混沌を感傷に溺れることなく構造的に捉えられようとするなら、ホラーという形式はまさに「コロンブスの卵」ではなかったか。私たちが生きるのは「震災後の世界」ではない。私たちは震災と震災との間、すなわち「災間」に生きる。原発事故によって"確率化"された生を生きる。その意味で本作は、災間の時間に刻印された、消えることのない映像の記念碑である。

 中条省平(映画評論家)

人間の顔を凝視する執拗な持続と、世界の表情の変化をすかさず無造作に切り取るようなカメラワークとが、異様なテンションで絡み合う傑作です。本作には2つのヴァージョンがありますが、ほぼ同じ物語を語りながら、印象がこれほど異なっているのは、作者・篠崎誠の内心が、その両極の間で深く引き裂かれているからでしょう。

大嶺洋子(編集者)

3.11を、離れた場所に居る者も、当事者のように、考えていいのか、受け入れることができるのか、という、ずっと胸の内でチクチク痛んできた疑問符を、ともに考える映画でもあった。

川瀬陽太(俳優)

篠崎誠監督最新作『SHARING』は前作『あれから』に続き震災にまつわる作品だが今回は震災後のヒトの心にフォーカスし映画的にも「仕掛けて」いた。もはや世界がホラー化したが故に敢えて観る者を動揺、困惑、怒りさえさせるかも知れぬ。本来映画は揺さぶりをかけるメディアでもあるのだ、と。

 

光武蔵人(映画監督)

悪夢の映像化は、幾度となく世界中のフィルムメーカーたちが挑戦している映画というものに課せられた永遠のテーマのひとつだ。篠崎誠監督の「SHARING」は間違いなく、その大成功例として映画史に深く刻まれることだろう。そして観客たちは、悪夢を見ているのは劇中の主人公でも登場人物でもなく、現実を生きている自分自身だと最後に気付かされるのだ。この悪夢は、リアルに分配(SHARING)されているのだから・・・。

 

市野川容孝(東京大学教授)

すごい映画だというのが私の感想です。私を含めて、多くの人が「3・11」について、思ってはいるけれども、なかなか表現できない、いや、「表現」した途端に嘘っぽくなったり、歪んだりしてしまうことを、実に巧みに、そして正確に〈表現〉している、という意味で、すごい映画だと思いました。

小中千昭(脚本家)

虚構でなければ描けない事はある。虚構だからこそ我々は娯楽としてこの映画を観られるのだ。しかしこの映画は見終わった後から問い続けてくる。そして気づく筈だ。『SHARING』の虚構は現実と全く区別ないという事に。

 

是枝裕和(映画監督)

震災そのものではなくその向こう側、それによってあらわになったものを描こうとしている誠実な映画だと思いました。直接震災を経験していない人間が、震災を語る語り方があるのかということに、真摯に向き合って考えられた映画だと思います。

想田和弘(映画作家)

311後の世界を生きる私たちの不安や困惑を、これほど鮮烈に。重層的に、そして映画的に描いた映画があったでしょうか。特にロングバージョンには戦慄させられました。実に怖い映画です。

 

田中要次(俳優)

あれから5年… 多くの日本人が持つ、まだ記憶に新しい震災トラウマの共有(シェアリング)を呼び覚ます。フィクションであるべきホラー映画の境界線を破壊し、「怖かった」では済まされないリアルな恐怖を淡々と深く刻み込まれる。この映画を観て、明日かもしれない恐怖に再び鳥肌が立たされるのは私だけではない筈だ。

ライムスター宇多丸(ラッパー/ラジオパーソナリティ) 

めまいがするような入れ子構造を持った広義の過去改変ものであり、人の心が「見えてしまう」という意味で正しく「心霊」映画でもある……と同時に、理解し得ないこと、語り得ないことをいかに理解し語るのかという倫理的問い、半ば自動的に「想像~感情移入~共感」してしまう存在としての「観客」論までこちらに鋭く突きつけてくる、スリリングにもほどがある破格のエンターテインメント!……って、これまだロング・ヴァージョンしか観られていない段階での感想だというのがまた怖いあたりですが。

緒方明(映画監督)

とにかく驚嘆のひと言につきます。圧巻でした。間違いなくここ数年観た日本映画のベスト3に入る大傑作だと思います。映画の新しい地平を見せられた気がします。背筋が伸びました。10代の頃、どんな映画を観ても面白く感じ、いちいち鳥肌を立ててスゲーとか思ってた感覚を久々に味わいました。

佐藤佐吉(映画監督・脚本家)

傑作だった。最近〈他者〉とは何なのかを問い続けていただけに大いに示唆と刺激を受けた。99分ヴァージョンもあるとのこと。絶対見たい。

森直人(映画批評、ライター業)

ものすごくあとを引く。この映画自体がトラウマティックな経験になった。筆者がいま言えるのは、こびりついた記憶も妄想も心の傷も、すべて「現在」の問題であるということ。存在不安、という根っ子の部分を執拗に探究している傑作、いや怪作だと思う。

深田晃司(映画監督)

人は怒りも悲しみも喜びもシェアはできない。分かち合えた気になるだけだ。分かち合えない私たちは、だからこそ、分かち合えた気分になりたくて、誰かに対して手を伸ばす。分かち合えないことの絶望の果てに、それでも表現する道を選んだヒロインの気高く孤絶した姿は、そのまんま篠崎監督の姿のようだった。二人の女性の心の流れを静かに見つめる99分版と、哀しみと怒りが活劇となって世界のルールをぐにゃりと歪める111分版。ひとつの撮影からこれだけ印象の異なるふたつの作品が生まれるとは。モンタージュの底深さ底知れなさを覗き込み目眩がした。

白鳥あかね(スクリプター、脚本家)

二度拝見しました。傑作です! 一人でも多くの人に見てもらいたい映画です。

 

高橋諭治(映画ライター)

映画史上まれに見る夢ホラーの怪作にして傑作。執拗に反復される悪夢のシーンのバリエーションの多彩さにまず驚かされるが、現実と地続きになって生々しい不安や哀しみを増幅させるこの映画が真にユニークかつ恐ろしいのは、「夢はいつか覚める」という逃げ場がどこにもなく、鑑賞後もしばしその得体の知れない夢への没入感に囚われてしまうことだ。そもそも津波も瓦礫も直接描かずに3.11と向き合い、大学という整然とした建築物を迷宮化したこの映画の不穏さ、不可解さは何なのか。何の変哲もない空間に、そしてごく普通の人間の内から次々とあふれ出る異形の怪奇、幻想、恐怖にゾクゾクし、感動さえ覚えずにいられない。


三宅隆太(脚本家/映画監督/スクリプトドクター/心理カウンセラー)

これは「あの日」を境に「心の時間」が停止してしまった者たちを描く、

「心霊映画」である。

 

命を失い彷徨い続ける者、

命を長らえ自らを責め続ける者、

そして、命を共有(シェア)しようともがき続ける者……。

 

互いを想うからこそ集い、

言葉を交わし、だがすれ違わざるを得ない彼らを見つめていくうち、

この映画が抱えるあまりにも重く強大な影に、苦しみや恐怖、或いは絶望を感じる観客も少なくないだろう。

 

しかし、光なきところに影が存在しないように、

絶望と希望は紙一重であり、表裏一体でもある。

 

前作『あれから』に続き、

篠崎誠は絶望の影にかき消されそうな「わずかな光」を追いつづける。

そして、迷路のような廊下を懸命に走り続けるヒロインとともに、

我々観客もまた、その光を信じ、求めてゆくことになる。

 

行き着く先はどこなのか? そこにはどんな光景が待ち受けているのか?

ロング版とショート版という2つのバージョンを通じて、

SHARING』は、それぞれ異なる未来の可能性を観客に提示する。

 

もしも、あなたがいま何らかの理由で「心の時間」が停止していると感じるなら、

どちらのバージョンもご覧になることを強くお薦めする。

 

そこには「止まった刻」を再び前に進めるためのヒントが隠されているからだ。

そして同時にそれは、この国に長年まとわりつく閉塞感を覆すための重要な道しるべでもある。

大九明子(映画監督)

 

SHARING」が完成したそうだ。

最初の試写を拝見して2年。ヒンヤリした映画だった。

「もう少しいじる予定なんだけど」その時確かに言っていたが。

以来ずっと篠崎監督は「SHARING」を作っていたのだ。

ずっと作っていられるなんて、監督族としては羨ましくもある。

そもそも映画とはいつを完成とみなせばよいものなのか。

とにかく、2年たった。3・11からは5年たった。

あの時に存在したヒンヤリ感は、濃度を増していることだろう。

島崎奈央(「暮しの手帖」編集者)

 

「こうなった」というのと

「こうなると思ってた」という両者は、

わたしの実感のなかではいつも抜きつ抜かれつ、

正確には、踏めない影法師を踏もうとしてるみたいな感じで

追いかけあってる気がします。

 

「こうなると思ってた」なら、

そしてそれが悪いことなら、

「こう」なるまえに「なにかすればよかった」し

「なにかすればよい」のだけど、

なかなか人はそれができなくて、

常々していることがあるとすればそれは、

こうしていたら違ったんじゃないか、とか

こうすべきだったんじゃないのかという、

過去に向かっての想像(後悔と、叶わないやり直し)ばかり。

 

経験が人を作るなら、

人にしか未来を恐れたり

未来に期待したりできないなら、

過去に向かってでなく未来に向かって、

人にしかできないであろう「想像」をしたいものだな、と思います。

安川有果(映画監督『Dressing Up』)

地震で恋人を死なせてしまった(被災地へ向かう恋人をとめることができたのは自分だけだった)罪の意識から、死んだ恋人の夢を繰り返し見続ける心理学者の瑛子と、震災を題材にした演劇作品に真剣に取り組むうちに、震災で子供を失った若い母親の記憶と夢を介して関係を持つようになる薫。

この映画は、他人と内側から関係を持つ唯一の方法として、夢という題材を提示する。ふたりのヒロインは震災の夢を見続け、同じ苦しみを共有しているようにも見えるが、一方は現実からの逃避としての夢、もう一方は真実に近付く方法としての夢であり、過去にとどまろうとする瑛子と未来へ向かう薫は衝突する。

批判を恐れず直観を信じて突き進む薫の姿は感動的だ。その行動は、瑛子に変化をもたらし、直接経験していないのに、それを語り表現する資格があるのかという自意識に苦しめられる周囲の人々、スクリーンの外で『SHARING』を見ている私達をも巻き込む。震災について、創作について、他者についての、深い洞察をもとに作られた、何度でも繰り返し見たくなる映画。

二宮健(映画監督)

3.11という今の日本にとって大きなテーマを、映画的な技 法やテクニックで描こうとする試みが、とても興味 深いと感じました。と同時に、 作品で描かれるのは震災の悲惨さ、ではなく、震災に対し て何を考えているのかという登場人物たちの内省的な姿 勢であることも印象的で、ひとつの物 事ですら、環境や角度によって、無 数の顔があるということを深く実感しました。 それでも最後に見せたひとつの顔は、考え方の幅広さに警告を鳴らす、現代の深刻な危機だと思い ます。

佐藤信介(映画監督『アイ アムア ヒーロー』)

隅々から映画の力が押し寄せて来る感じがしました。震災によって失われたものが、言葉ではなく、映像でもなく、事実の記録でもなく、映画の力によって語られていました。忘れかけていたこの映画の力が醸す、これまで感じたことのない感覚によって、答えも結末も導き出せないこの日本の物語が綴られていました。抜け出すことができない僕らの前に広がる迷路を、ここまで実感できた時間はありません。

QLOOKアクセス解析

舩橋淳(映画作家)

 

映画において、編集点で区切られるショットには各々全く異なる時間が流れており、それが積み重ねられたフィクション———ホラーなり、サスペンスなり、ラブストーリーなりがしかるべき物語を盛り上げ、指し示す“共有された”心理は、しょせん同じ時空間に所属していない人間たちの幻想に過ぎないという事実を、ある苛烈な傷みをもって見るものに突きつける作品、それが「SHARING」(反語的なアイロニー)である。大学構内という無機質な空間が、突如ぐぅ〜にゃりと曲がりはじめ、我々が立っている地面がぐらぐらと地殻変動を始める。映画を見る我々の視線が、どれだけ作り上げられたフィクションの前提の上に立脚しているのか、篠崎監督は1ショットごとに暴いてみせる。過去なのか、現在なのか、未来なのか、ショットごとに時空を飛び越えるという、こんな画面の緊張を私は見たことが無い。我々は、果たしてこの映画を見終えた時、ここに立っていられるのだろうか。視線を投げ掛ける我々は、一枚、また一枚と意識の層を剥ぎ取られ、その先には世界の行く末といっても過言ではないラストが待ちうける。

 

恐るべきサイコサスペンスの誕生である。

洞口依子(俳優)

 

今作の”3・11以降との対峙”の映像表現の大胆さには目が眩んだ。震災の映像は出てこない。だが、登場人物のセリフから震災の様子を思い出さずにはいられない。3・11以降のひとびとの心の問題。絶望と希望の狭間で、予知夢やドッペルゲンガー、死者の声と不穏な風音、さまざまな要素が組み込まれた、万華鏡のような「忘れない」映画体験だった。